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    • Onohana
      • 2017年7月17日

    西和賀で VIDEO PARTY!✨


    暑いですね。

    まだ春になったばっかりくらいのタイミングだと身体は思っていたのに

    猛暑だし7月も中旬を越えていた…

    こんなつもりで40歳になるんだろうなあああ一生懸命生き延びて早く40歳になりたい

    あ、セブンイレブンの冷凍皮ごと食べるぶどうが美味しすぎて

    1日2袋空けてしまいました。3時間ごとに1袋食べられます注意してください…

    さて皆さんは VIDEO PARTY という上映イベントをご存知でしょうか。

    京都五条の Lumen gallery というシアターギャラリーで行なわれている

    個人制作作品の応募形式の上映会です。

    今年で5回目になる VIDEO PARTY は

    映像作品を応募し上映をしますが、

    作品に権威付けする映画祭と明確に違う点があります。

    それは「上映作品の審査・選別を行なわない」点です。

    映画祭では、応募された作品の中から

    その年ごと、審査員の顔ぶれごとなどで

    毎回様々な観点からの評価がなされ、

    いくつかの作品に絞られて上映・表彰という流れになります。

    VIDEO PARTY さんは、この「審査・選別」を行なわないので、

    作品を作って応募した人全てがフラットな立場で顔を合わせることができる

    ざっくばらんな「パーティ」上映会なのです。

    ここでは実写・アニメーションの隔たりなく、

    また学生・若造・プロ・趣味・先達・ベテランの垣根を越えて

    色々な「映像のことば」を交わすことができます。


    VIDEO PARTY 2017 KYOTO

    7月28(fri), 29(sat), 30(sun)

    at Lumen gallery

    http://www.lumen-gallery.com/vp/index.html

    京都での本上映は今月末から。

    私はまだ VIDEO PARTY さんに応募したことはないのですが、

    このたび縁あって、

    岩手県西和賀での VIDEO PARTY の開催をお手伝いさせて頂くことになりました。

    西和賀は、私が昨年度、西和賀高校の美術部にお邪魔して

    短編アニメーションを作って完成させたご縁があり、

    何度かお邪魔しているのですが、

    主に関東で上映会など自主的な企画をいくつか行う中で、

    私が関東に出てきて色々続けてきた中で出会った人や、見つけたやり方を

    うまく西和賀に融合させることはできないかと、 今か今かとタイミングを見計らっていました。

    そして、ついに漕ぎ着けたのです。


    https://camp-fire.jp/projects/view/34206

    VIDEO PARTY + in Nishiwaga

    この夏開催が決まりました!

    西和賀で芸術関係のコーディネーターとして働く小堀さんと、

    Lumen gallery の由良さんを始め、

    関係者のみなさまのご協力のもと、

    廃校になった学校を使っての上映会です。

    西和賀は東京駅から乗り換え一本で行ける貴重な秘境の一つです。

    その良さ・魅力はどうぞこの上の画像のリンクからご覧になってください。

    いつもの VIDEO PARTY と違うところは、

    今回、西和賀のために「アニメーションセレクション」を上映。

    そして、「+」の部分の由来である、

    ゲストの参加が決定しました。

    参加ゲスト作家は、

    VIDEO PARTY から約3名(みなさん初岩手だそうです)、

    そしてお膳立てさせていただいた私も、

    アニメーション作家仲間の

    小谷野萌

    松本紗季

    当真一茂

    を引き連れて、

    現地で上映とトークなどを行おうと思っています。

    上の画像リンクから飛んでいただいた方にはもう目に届いているかと思いますが、

    実は運営費が足りていません。

    企画は吟味の上ちゃんと進められているし、西和賀にとって本当に貴重だし、

    参加者も何人も声をあげてくださっているんですが、

    その人の意気込みの方が予算を大幅に追い越してしまいました。

    西和賀に、実際に手を動かしている作家が7〜8人も

    集まる意思表示をしてくれるというのは、

    今まで前例もなく、貴重で、奇跡的なスケジューリングなのですが、

    まちの人や、そのまちが好きな人の力で

    運営が続いていくことに価値があるこの西和賀でのイベント運営において、

    ただ一回自腹を切って開催して終わり、では勿体無い。

    それなら今回、

    できるだけ、この企画の存在をいろんな方の目に入れて、

    手を差し伸べていただいて、

    まちの人の記憶に、実績に、未来に繋げて行こうという志の意味で、

    作家の移動費や上映料などのご支援を賜ろうと、

    クラウドファンディングとして動き出したわけです。

    クラウドファンディングにご協力いただいた皆様には

    できるだけ、ぜひぜひ、西和賀に実際に足を運んでいただいて、

    一緒に上映を見て話す時間を過ごせればいいなと思いますし、

    西和賀に来られない方も、今後に繋いでいけるように、

    短編アニメーションと、西和賀と、Lumen gallery さんの未来に、

    お力添えをいただければ幸いに思います。

    (この組み合わせは本当に念願…)

    岩手で映像作っている人も VIDEO PARTY に参加したりして、

    世界各地や岩手でも、

    また上映ができるような流れも生まれたらいいなと思っています。

    ご支援・ご協力のほど、どうぞよろしくお願い致します。

    (拡散歓迎!)


    • Onohana
      • 2017年6月15日

    個展を前に


    アニメーション・パレットの地方巡回上映会4年が無事終わり

    (ご来場くださった皆様ありがとうございました。)、

    新宿眼科画廊での個展が近づいてきて、

    私の中で、ますます、自分の作品が一人歩きしていくことに

    振り回されるような気持ちが大きくなってきている。

    これは、「私の世界を鑑賞者が正しく理解できていないジレンマ」ではない。

    「アニメ・クリエイターになりたい人だと思われているジレンマ」だ。

    私の作品は、物語と抽象とで全く相貌も文法も違うため、

    そのふたつを作り続けることにどんな関連があるのか、

    一目で見抜く人はほとんどいないのは事実である。

    時にファッションに見られ、時に一発芸に見られ。

    それほどに、アニメーションの表現がまだまだ広く知られていないということだ。

    私が抽象を描き続ける理由は、 体の形を持って思考することだけでは足りないからだ。

    形も時空も次元も飛び越えた運動・思考が、抽象アニメーションでは可能だ。

    これは人間の進化の末にようやく獲得した共鳴的イマジネーションの

    最も美しい姿だとすら思う。

    私が物語を描き続ける理由は、

    人の姿や現実認識の客観視と、記録、という効力から

    人間の仕組みについてを考える、最も近道で

    そして最も強い方法だと思うからだ。

    私は人間として生まれ生きているから人間のことを見つめないわけにはいかない。

    人間にはいろんな瞬間がある。

    美しかったりうまくいっている時だけが人間じゃない。

    うまくいかないまま死ぬこともある。

    心の中に適所で着地点を設けられる人ばかりじゃない。

    わからないまま死ぬ、知らないまま苦しむ、美しさに傷つく、

    わかっていて苦しめる、わかったつもりで傷つける、

    傷が見えてすらいない、死んだことに気づかない、殺したことにも気づかない、

    そんな繋がりも、間違いなくこの社会を作っている。

    それが描きたい。

    アニメーション表現者として今まで少ないながらもいくつか映画祭に出て、

    私の作品はどうして「感動的なオチがない」と蔑まれなければならなかったか。

    どうして「意味をわかってもらう気がない」と指差されなければならなかったか。

    「お金を払ったからには気持ちよくなりたい」という貧しい消費者心理が

    映画配給に大きく影響して批判も評価も腐ったものになってはいないか。

    文化評価の尺度を額面以外で見失った業界内部が

    同じ衝動を持った同士のみで評価体制を整えようと

    時に排他的な思想を用いてまで繋がりを保ってきてはいないか。

    私は今まだアニメーションを始めて数年、

    大きな賞をいただいた「澱みの騒ぎ」は、始めて2年しか経っていなかった。

    機材を扱うのもやっとで、アニメーションに特化した編集方なんて知りもしない。

    そういう技術面を指摘されるのはわかる。

    ただ私への苦言の多くは「絵が下手だ」「オチがない」「共感させる気がない」、

    そんな表現姿勢自体への忠告や、

    「売れない作風だとわからないのか」「売り方が下手で応用が利かない」とか、

    「苦しいことがあって、それを吐き出したかったんだろう」という

    自分本位な吐露であるという前提を敷いた上で

    「何が言いたかったの?」と聞いてくる評論家もいる。

    評論家への私の期待がただ大きすぎるのだろうか、

    作品を全編観たなら、そのコンテ切り、アングル、描写、枚数、色数、

    ブレの具合、音、声、キャラクターのシルエットや演技、時間理念、

    またそれらの崩しから、多少なりとも考察して、

    わからないことに対しては様々な見識から、

    いくつかの解釈の方向の可能性を含んだ上で

    「ここはこういう風に見えるが、どういった経緯が?」なら

    こちらも作品を上映する意味があろうが、まず真っ先に

    「アニメでは通用しないくらい絵が下手だ」という判断で遮断されることもあり、

    またあろうことか「個人的な悩みには私はむやみに触れるつもりはないけれども」

    といったそぶりで「あなたはエンタメもアニメもわかってないね」と

    あるいは「全然理解も共感もできない次元にいる、人間の心持たざるもの」という

    悪い評価をわざわざ伝えてくる評論家もいる。

    動いていないものが動いて見えるようになるアニメーションという手法が、 巨額な興行収入を叩き出す「アニメ」と同義だなどと

    どうして疑いもせずに研究者・評論家などと名乗れるのか。

    どの時代にも、新しい表現に対しては懐疑的な伝統踏襲派がいて

    少なからず摩擦はあった。

    しかし現代は歴史も思考も拓けている(はず)だ。

    何かしらの流派が全体の一部でしかないこと、

    そして多様な解釈と想像が世界には必要だという価値観を、

    いつまで取り入れられないままでいるつもりなのか。

    そしてその多様性は、多様性を受け入れ尊重し合う感性は、

    人間社会が、人の暮らしのある社会であるために、

    この先絶対に育てて行かなければならないものなのだ。

    歴史も表現も、ひらかれていなければならないのだ。

    アニメーションは、

    1秒に24テイク、1テイクに数百の時間を往復する

    濃密な時間を思考されうる表現である。

    1枚1枚の思考は描き終えられた途端に停止・独立し、

    それらの一連に、目から脳へと繋がる肉体が魂を宿す。

    アニメーションを引き起こしているのは「目」と「脳」であって

    「かぶいたキャラクター」や「美少女」まして「感動物語」ではないことなど

    今更誰もつっこみもしない。

    しかし、未だに日本でのアニメーションへの期待は

    外からも、多数を占める内側の一部からも、

    「より分かりやすく楽しい、超絶想像力の舞うエンタメ」だ。

    しかも「超絶想像力」は、

    「わかりやすい線と色」「美貌」「伏線」「爆破と破壊」「絆」「笑い」であって、

    既知の方法を取らずに導き出された「新しい視点や形」のことではない。

    評価・研究する側の一部も、「アニメ」と「アニメーション」の

    分別をないがしろにしたまま、むしろ自覚のじの字もないままに、

    「その地域を代表する映画祭」と称して「アニメーション作品」を募集したりする。

    そこで「超絶想像力の舞うエンタメ」の促進が図られる。

    息も絶え絶えな経済社会が欲してしまうのは、

    みんなが一瞬で一斉に同じ表情になれる号令としての映画・ドラマであるし、

    経済社会での成功や、号令としての効力を、

    制作のモチベーションやメリットに掲げる

    クリエイター、プロデューサーも、悲しいかな数え切れないくらいいる。

    (もちろんコンセプトによって手法は有益にもなりうる)

    アニメーション・クリエイターと、表現者と、

    このふたつも同義ではないのに、同義として見られるか、

    あるいは主に後者が「自己表現」という言葉で片付けられ、

    クリエイター志望の枠内に収められてしまうことが多いのだと思う。

    より思考・研究のいらない体制で、

    真意はともかく自明であると「断言」してしまう労力の方が、

    答えの見えない挑戦を続けたり、調査研究をし尽くしたり、

    それに期待したり正しく評価することよりも、

    ずっと楽に済むんだろう。

    そういう「社会」になってしまった。

    私は、ただただ人間は美しい、人間は素晴らしいと賛辞することに対して

    非常に懐疑心を持っているし、

    多くの人が信じて疑わないことの矛盾を突き詰めていきたい。

    小手先の美しさ面白さで競争する気などさらさらない。

    私はただただ想像力が伸びた先に現れた世界を、

    見えた通りに捉えようとし、

    そしてそれに向かって真摯に話尽くし、

    その正体がなんなのかを掴んでいくこと、理解すること、

    そうすることで人間の本質や多様性について考え受け入れていくことを、

    アニメーションを介して行なっているつもりである。今までもこれからも。

    そうして見えてくる人間の強さ・儚さの方が、

    定形で仕組まれた幸せな物語よりずっと美しい。

    過去の作品は、拙い構成ながらも

    あの結末が世に出すのに最もふさわしいと思っている。

    言わずもがな自分の悩みを打ち明けたのではない。

    「自分」ももちろん人間の一部だから、根拠になる部分はある。

    しかし内向的に個人的世界観を構築したのではなく、

    人間に起こりうる現象を、アニメーションに乗って渡り歩いたのだ。

    それは「私」のことではなく「人間」の話だ。

    内向ではなく、あくまでも視野はそこを突き抜けて空へ外へ向かっている。

    安易に感動を求めたその人の世界でもある。

    誰にとっても一寸先にある世界だ。そう思って作っている。

    そこで、どうして「上手な絵に満たないもの」に定義されなければならないのか、

    どうして「オチがない」と定義されなければならないのか、

    どうして結末が「幸せにならなければならない」のか、

    どうして「いろんな人が見るのだから自重しなければならない」のか。

    そういった考えなしの一般論に、

    私は矛盾を呈していきたいんだということに年々気づいてきているし、

    そして、人間について熟考する機会を社会に点在させたい気持ちもあるし、

    アニメーションのチカラをもっと引き出していきたい。

    人間の生死を飛び越えた視野で世界を捉えていきたい。

    だから私は、クライアントのいない新作を発表し続けるし、

    抽象と物語どちらかに絞ってセルフマネジメントをしやすくするつもりもない。

    アニメーションという思考方法と

    サシで付き合っていくのだ。

    (決意表明)


    • Onohana
      • 2016年11月7日

    新千歳2016で観た『この世界の片隅に』


    新千歳から帰ってきました。

    新千歳空港国際アニメーション映画祭、 去年に引き続き、2度目のノミネートで招待して頂きました。

    日本コンペティションです。

    たくさんのプログラムがあって、また招待作家も多くて、

    いっぱい観て、いっぱい話して、それで時間が過ぎてしまうので、

    映画祭が始まっちゃうと、

    せっかくの北海道だけど全く観光なんて出来ないくらい忙しい、

    賑やかな映画祭です。

    私が観たプログラムの中で、

    今年印象に残っているのは、

    こうの史代さん原作、片渕須直さん監督の、

    『この世界の片隅に』です。 これは、『この世界の片隅に』クラウドファンディングのページ。

    監督からのメッセージや企画内容が詳細に書かれています。

    https://www.makuake.com/project/konosekai/ 一般公開前の先行上映という形のプログラムを、映画祭で観たのですが、

    感想を先に言うと、

    本当に、本当に、温かい心のこもった丁寧な映画でした。

    歴史資料や現場の調査を徹底的に行ってきた片渕監督の評判は まさしくその通り画面に生きていて、

    また原作の空気感、テンポ感を(私原作未読なのですが…)

    おそらく本当に大事にされてたんだと感じとれる

    絵コンテ、間合いでしたし、

    なにより、観ていて本当に画面の中の人たちと暮らしを共にしているような、

    とても親身に観ていられる映画でした。

    演出している側の個人的な願望とか、編集の気取りとか、評判を乞うている心理とか、

    そういうのを最初から最後まで全く感じさせない。

    映画の最初から最後まで、暮らしはそこにあって、

    登場人物たちに何があっても、心が側から離れなかった。 自然と涙が出て来る、なんてありきたりな映画の感想の意味を、

    今が本当の使い時だと心の底からの確信を持って更新したい、

    泣けるなんてことじゃない、

    すずさん(主人公)やみんなを、大事に思っている、

    だから涙が出てくる、そんな映画でした。

    この映画が、流行るといいなぁ。

    上映終了後、 登壇して話す片渕監督の開口一番、

    「泣いてしまうんですよね。」。

    「今までの作品では泣いたことは無かったんですが、この作品ではどうも泣いてしまいます」

    そう言うと笑いが起こって、会場が少し緩んだのがまた印象深かったです。

    片渕須直監督には、

    修了展のGEIDAI ANIMATION 05 GOの、ユーロ会期のイベントで、

    修了作品を片渕監督に観て頂いて恐れ多くも分析してもらうというトークイベントの時、

    私の修了作品『澱みの騒ぎ』についてコメントを頂いたことがあり、

    それ以降、恐れ多くも覚えて頂いていて、時々の折にご挨拶させて頂いたりしていました。

    11月3日の先行上映の翌日、

    『マイマイ新子と千年の魔法』の上映と、片渕監督のトークがあるイベントを観て、

    イベントが終わったあと、ご挨拶させて頂きました。 僭越ながら、感想をお伝えしたくてたまらなかったんです。 あんなにあたたかい気持ちになる長編アニメ映画を観たの本当に久しぶりだったので。

    片渕監督はとても低姿勢で、

    ステージに上がってお話しされるあのまんまの姿で、お話聞いて下さって。 意気込んでアタックしたはずなのに私言葉下手でそんなにたくさん話せてもいなかったのですが、

    話しているうちにすぐ私のほうが泣いてしまい、

    「あぁすみません泣いてしまう」と漏らしたら、 「泣いてしまうんですよね。」と、柔らかい表情で淡々と。

    完成を迎えた今、この作品のもつ強さを、片渕監督ご本人もきっと、 おそらくもっとも近い所で、体感なさっておられるんだろうと感じました。

    「まだ原作は読めてなかったんです」とお伝えしたら、

    「あぁそれは良かったかもしれない、原作はもっとたくさんあるんですよ。

     原作の後に観たら物足りなかったかもしれない。もっとたくさんのエピソードがあるんです。」

    と、惜しそうに、かつ少し高揚して仰るので、 本当に、原作の全てのエピソードを愛して制作なさっていたんだというのが伝わってきました。

    ほかにも、マイマイ新子の世界は、この世界の片隅にの約10年後にあたること、

    すずさんはちょうど、マイマイ新子の中のお母さんの世代であって、 同じ時代を生きているだろうということ、 『この世界の片隅に』の原作は、「漫画アクション」での連載時、 その掲載日と同じ日付にあたるすずさんの1日が(日記的な表現で)掲載されていたこと、

    だから物語の世界は、私たちと時間で繋がっていること、 そういうことをお話ししてくださって。 勇気を出してご挨拶に行ってよかったなぁと思いました。 素敵な監督です。ほんとうに。 (ちゃっかりサインも頂いたりして。。) 『この世界の片隅に』が、

    たくさんの人に観られますように、 たくさんの映画館で長く上映されますように。 そして、本当に素敵な映画祭でした、新千歳空港国際アニメーション映画祭。 まだまだもっといろんなエピソードはあるんだけど、

    いつか書きたくなったら書きます。

    また作品と一緒に来られますように。 お世話になりました。ありがとうございました。

    Onohana


    2021 © Onohana / Gin_nan ni ame / UchuPeople

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