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暮らしと視野と選挙の備忘録


選挙前なのでいろいろ素には無いことを考えることも多く、

それも人の一面を知るのに濃ゆい期間でもあるので

自分で忘れないように書いておく

私の周りは反安倍の考えを持つ人が多い。

「反安倍」と言っても、本質は「打倒安倍」ではない。

文化研究や普及の職に就いていたり、作品を作っていたり、世界中に友達がいて、

日々実際に、現場で、自由と世界平和と歴史とともに生きている、暮らしを営み続けている、手を動かしているからこそ、安倍自民の考える「日本らしさ」や「自由」「尊厳」などとは根本的に違う考えを、はっきりと持っている人たちばかりだ。

私もその類だと思う。

反安倍層の主張としてメジャーな印象のある

「危うい芽を早いうちに潰そう」とか

「まだ起きていないけどなんとなく不安だから抵抗しよう」

という意識の人はほぼいない。

根本的な「人間についてどう考えるか」という部分で、

自分なりの確固たる考えがあって、その上でNOと言っている。

根本的な部分がことの要だと考えているから、各法案や予算の方向性などの表層的な部分へのYES・NOでは話にならないところがある。ここに与党支持の人が

「じゃあ現状からどう改良するか具体的に提示しろよ野党」

と提案したところで、哲学は揺るがない。

「改良?何言ってんの?」となる。

安倍自民が組んだ骨組みにどんな肉付けをしたいか、そぎ落とせば良いのか、そんな肉付け部分のみを選べれば満足するような話ではなくなっているという認識がある。

こんな反応のことは、与党支持者からしてみれば「ふわっとしていて具体性がない野党」に見えるだろう。でもそうでもない。

こまごまとした政策や予算の方向性への考えはそれぞれにちゃんとあって、

まずそれを議論するために専門家の研究や知識を踏まえてじっくりと時間をかけるべきだ、という考えをしっかり持っている。

そしてこれはむしろ与党よりも慎重で明細なものを望んでいる。

私も含めた身の回りの反安倍層には、少数派を恐れない人が多い。

自分の目で見て、自分の身体で動いて、自分の知恵で考えて生きて抜いてきた人が多い傾向はあると思う。ユーモアがあってタフな人たち。

そういう人たちは、メジャーなものに安心感を持っているという事も特にない。

だから、議席が少ないところでも、長い目で見て(いろんな人がいろんな流れの中にいることを想像しながら)、今回の選挙ではまずは、姿勢が信頼できない安倍政権にNO示すための選択を取ろうとしている。

自民党に投票している層の中の、政治に詳しくない人・自分の生活の中に政策が直結していない人・メジャーなものに安心感を覚える人、そんな「普通の暮らし」を営む人にとって、有名で人数の多い自民以外は選択肢に上りもしない中で、いかに安倍政権へのNOを「形にするか(席数に繋げるか)」というのが、反安倍層にとっての課題であって、理想の党に投票すれば良い問題ではない、と見ている人は多い。

そもそも「理想の党」だ、などと盲信している人が少ないかもしれない。

あくまでも、取るべき姿勢を取っている。

与党ほど個々の具体的なものが見えている段階なわけがない。

その個々の政策を導き出した、骨組みの部分から、理念の部分から整え直そうとしているのだから。議論の姿勢を変えて、そのあとに個々の具体的な時期を出していくべきだと、そしてそれには時間がかかることを、承知している。

その先を見越して、小さくても野党の中で選択をする。 今後、徐々に議席が増え、政党として育ったら、

ようやく具体的なところを議論していけることを、もちろん期待しているだろう。

具体的な段取りを提示しないからといって、

「安倍に対する無闇な反抗」をしているわけではない。

政治の動きの全体を把握する事は難しい。

普通に暮らしていて政治と関係のない仕事をしている個人にはなおさら難しい。

情報収集は自分の視点から手繰られたものになってしまう。

この自覚がありながら、しかし広くどんな人がこの国にいるのか、

その人は何を考えているのかを、実感的に理解したいと思うと実にもどかしい。

暮らしながら接する事ができる人の範囲なんて、選挙の時期だからと簡単に広げられるものでもない。ネットで探す糸口なんて、自分が見ようと思ってきたものの末端でしかなかったりする。「それでもある程度知ることができている」と言えるのは研究者のレベルにならなければありえないんじゃないか。

自分が知らない世界を知ることの難しさ。

どうにしろすべての人に暮らしがあり、流れがあり、

選挙の時だけ突然ポッと現れる国民なんて存在しない。

わかっていても、わかったと信じたい自分。

感情にいつの間にか流されて論点がずれる、あるいは論点のズレをすべて感情が原因であると片付ける、そしていつまでも並行にいなしあう渦の中で敵対心に善意が焚べられていく。不毛に感じられる。

自分の意見と違う人の話の理解には時間がかかり、実感はさらに遠くにある。

多様性とは、面白いと思えるバラエティの豊かさの事じゃなくて、その遠い実感に思いを馳せて敬えることだろう。

私も、例えばアニメーションを作りたい人間じゃなかったら、芸術を愛する人間じゃなかったら、生まれ育った家代々のお仕事にがっちり支持政党が存在していたら、今の流れとは違う政党を支持したかもしれない。

自分の暮らしの中の流れは確実にあって、そこに具体的な政党が存在していたなら、それを選ぶことは自然なことだろう。

どんな流れの中でも、それぞれは個人の人間なのだから、何を理想とし、どんな哲学を持つのかは自由であって、選挙においても、それを票に表す人がいてもいいし、票ではない方法で表しても良いと言い切りたい。歴史を知って、社会のあり方を考えて、投票にはいくことは重要だが、その選んだ政党でその人個人の何事も定められないと言い切りたい。

私がどんな別の境遇に生まれていても、あるいは私の暮らしとはあまり縁がない暮らしを営んでいる人にも、同じように選択肢があることを望む。それを平らかに話せる事を望む。

私の根本的な政治への向き合い方はこれで、おそらく全体から見れば、リベラルということになるだろう。

そして改めて自分は、世界や、平和や、自由や、尊厳についてと、

直接向き合う生き方、生業を選んだんだと実感している。

そういう政治的自覚と並行して、

権力や金の話自体が全然好きじゃないことも猛烈に感じている。

今日はビーフハヤシときびなごの唐揚げです


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